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Osnabrück 散策 [Architektur 建築]

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Herfordの帰りにOsnabrückオスナブリュックに立ち寄りました。

wikiによる街の歴史
オスナブリュックは780年にカール大帝によって司教座が置かれて以降、発展した都市である。地名の由来はハーゼ川の古名、オスナに「橋」を意味する「ブリュック」がついた。1648年にはオスナブリュックとミュンスターにおいて、三十年戦争の講和会議が行なわれ、ヴェストファーレン条約(日本では一般的にウェストファリア条約と呼ばれる)が締結された。これに由来し、オスナブリュックは「平和都市・オスナブリュック」を名乗っている。1669年にはハンザ同盟都市となった。1661年、エルンスト・アウグストはこの地の統治者となり、後にハノーファー選帝侯になった。息子のイギリス王兼ハノーファー選帝侯ジョージ1世は、1727年にオスナブリュックで亡くなった。

第二次世界大戦では連合国により計79回もの空襲を受けた。最初の大規模な空襲は1942年6月20日で、英国により、9000発の焼夷弾を投下された。同年10月6日には同じく英国が計1万1000発の破裂弾と焼夷弾を投下した。1944年9月13日には2171発の破裂弾と18万1000発の焼夷弾が投下され、市内の歴史的な建造物のほとんどは壊滅的な損傷を受けた。さらに、同年10月13日には2616発の破裂弾と1万6000発の焼夷弾が投下された。空襲による市民の死傷も多く、多い時では米国の1日の空襲により、241人の死亡者が出た。また、これらの空襲によって、市域の65%、歴史地区の94%が破壊された。

街の中心部を歩いていると中世のいい感じの街のようですが、第二次世界大戦でほとんど破壊されたのですね。

オスナブリュックでの目的地はダニエル・リベスキンド(Daniel Libeskind)設計のフェリックス・ヌスバウム・ハウス(Felix Nussbaum Haus)でしたが、ちょうど今改装?拡大工事中ということでした。残念。工事は2011年の4月までという事です。5月にはリニューアルして見れるでしょう。


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フェリックス・ヌスバウム Felix Nussbaumは1904年Osnabrück出身の画家ですが、ナチスによるユダヤ人の迫害の被害者であり1944年にアウシュヴィッツで殺されています。
ここはこの画家のための美術館です。

前回、中に一度入っていますが、まず建物に入って展示室にむかう廊下にリベスキンドによる設計のコンセプトエスキースが展示されています。
上から見ると独特な建物の形がわかりますが、ユダヤ人が運ばれた列車の線路やアウシュヴィッツの方角と関係付けられています。


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