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フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン François-Auguste-René Rodin [Geschichte 歴史]

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考える人 京都国立博物館

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ロダン1893 ナダール撮影

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St John the Baptist Preaching 1878

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カレーの市民

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地獄の門


フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin, 1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。

パリ在住の労働者階級の子として生まれ、エコール・ボザールなどの美術の専門教育(アカデミズム)を受けず、特に青年期以降は殆ど独学で彫刻を習得した事で知られる。

本人の談によれば10歳の時に初めて絵を描いた事で美術に興味を持ち、14歳の時に地元のプティット・エコール(小さな学校)と呼ばれる工芸学校に入校した。子供達に絵画やデッサンを教えていたルコック・ボードランという教員はロダンを最初に評価した人物で、後年にロダンは感謝の言葉を残している。

プティット・エコールを退学した直後、ロダンは学業継続を望んでエコール・ボザール(グラン・エコール)に入学を志願した。ロダンは同窓生をモデルにした塑像を提出したが、ボザールからの評価は不合格だった。諦めずに翌年と翌々年も塑像を提出し続けたが、全くボザールからは相手にされなかった。当時のボザールは技術的な要求水準が然程高くなかったとされ、数度に亘って入学を拒否された事はロダンにとって非常に大きな挫折なった。

ロダンはボザール(美術大学)での新古典主義に基いた彫刻教育とは異なる嗜好で作品を作っていた事によって結局美大入学を許される事はなかったと言われる。そのときの教授はロダンの作風を理解することはなく、『近代彫刻の父』は美術大学に入れなかった。


1863年、ボザール入学を果たせなかったロダンに追い討ちを掛けたのが姉マリアの死であった。ロダンを支えていた姉は恋人との失恋劇で精神を病み、俗世を捨て修道女になっていたが、修道院で病没。姉の恋人を最初に紹介したロダンは激しい罪悪感に苦しみ、姉の後を追うように修道院に入会、修道士見習いとして神学へと道を変えようとした。だがロダンの指導を任されたピエール・ジュリアン司教は彼が修道士に不向きだと判断し、美術の道を続けるように諭した。


修道会を離れたロダンは動物彫刻の大家であったアントワーヌ・ルイ・バリーに弟子入りして、深い影響を受けた。また24歳の時には生涯の妻となる裁縫職人のローズと知り合い、長男オーギュスト・ブーレ・ロダンを儲け、装飾職人として働いた。1870年普仏戦争が勃発、近視であった事から徴兵を逃れる事ができたが戦争の影響で生活が苦しくなり、30歳まで家族を養うだけの稼ぎを持てなかった。

職を求めてロダンは家族と新天地ベルギーへ移住。知り合いの紹介でブリュッセル証券取引所の建設作業に参加した。当初は仕事が終わればすぐにフランスに戻るつもりだったが、様々な理由からベルギーで6年間滞在を続ける。彼は装飾職人として独学で彫刻の技法を修練していたが、展覧会用の作品を作る余裕はなく、誰も彼が彫刻家としての夢を抱いていた事を知らなかった。

1875年、親方との関係が悪化、ロダンはベルギー滞在中の貯蓄をもってローズを連れ、念願のイタリアへと旅行する。そこで目の当たりにしたドナテッロとミケランジェロの彫刻に衝撃を受けたロダンは、多大な影響を両者から受ける。

彼は「アカデミズムの呪縛は、ミケランジェロの作品を見た時に消え失せた」と語っている。ベルギーに戻ったロダンは早速イタリア旅行で得た情熱を糧に『青銅時代』を製作、十数年ぶりに彫刻家として活動を開始する。
美術大学から拒否され続けたロダンはその事を10数年間苦しみ、そして再び美術制作に入る。

『青銅時代』はオーギュスト・ネイトと言う人物をモデルにした等身大の男性像。極めて緻密でリアルな作品であったが、あまりのリアルさのために「実際の人間から型を取ったのではないか」との疑いをかけられる、憤慨したロダンは2年後に人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を新たに作った。型を取ったのではなかったと解った審査員たちは、ロダンの彫刻に対して賞賛の言葉を送り、ロダンの名は一気にフランス中に広まった。

ロダンは簡単には受け入れられなかった。

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