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芸術 Wikipedia [Kunst 美術]

芸術(げいじゅつ、希: η τεχνη、 techné、羅: ars、英: art)とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。美術、文芸、音楽建築、演劇などを指す。藝術の略式表記。

語源
ギリシャ語の「τεχνη techné(テクネー)」やその訳語としてのラテン語の「ars(アルス)」、ドイツ語の「Kunst(クンスト)」などは元々は単に「人工(のもの)」という意味であり、元々「技術」という訳語が当てられるものであった。

現在でいうところの芸術の概念は近代まで、単なる技術と特に区別して呼ぶ場合、「よい技術、美しい技術」(schöne Kunstなど)と表現され、むしろ第二義的なものであり、後に(現在の辞書の配列にも現れているように)芸術の意が第一義となった。

表記(藝術・芸術)
日本語における「藝術」という言葉は、『後漢書』5巻孝安帝紀の永初4年(110年)2月の五経博士の劉珍及による「校定東觀 五經 諸子 傳記 百家蓺術 整齊脫誤 是正文字の「蓺術」から来ており、明治時代に西周によってリベラル・アートの訳語としての意味を付加された。いまではアートの同義として使用されている。

漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により、「芸術」と書くようになった。この「芸」の字は、もとは「ウン」と読む別の字であったが、「藝」の略字として使用されている。

ウィクショナリーに藝の項目があります。藝の原字は「埶」で「木」+「土」+「丸」の会意文字で両手を添える様を示し、植物物に手を添え土に植えることをもとは意味した。のち、さらに「艸」を添え、「蓺」として、植物であることが強調された。「芸」は「云(ウン)」を音符とし、「たがやす」に意を持った別字であったが、後に混同された。


ある活動や作品が芸術であるか否かについて、必ずしも誰もが同意する基準があるとは限らない。表現者側では、その働きかけに自分の創造性が発揮されること、鑑賞者側ではその働きかけに何らかの作用を受けることなどが芸術が成り立つ要件とされる。これに関して、表現者側では、自分の作品を構成するにあたり、先人の影響を受けたり、既に様式が決まっている表現方法、媒体を用いたりすることはよく行われるので、必ずしも表現の内容が完全に自分の創造性にのみよっているとは限らない。また鑑賞者側が、その表現が前提としている様式の暗号を知らないと働きかけはうまくいかない。





タグ:芸術 art Kunst
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カレーの市民 Les Bourgeois de Calais [Geschichte 歴史]

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フランス カレー市

カレーの市民 (Les Bourgeois de Calais)は、オーギュスト・ロダン作の著名な彫刻のひとつで、1888年に完成した。 「カレーの市民」は、百年戦争時の1347年、イギリス海峡におけるフランス側の重要な港カレーが、一年以上にわたってイギリス軍に包囲されていた際(カレー包囲戦)の出来事に基づいて作られている。

イングランド王のエドワード3世は、クレシーの戦いで勝利を収めた後カレーを包囲、フランスのフィリップ6世は、なんとしても持ちこたえるように町に指令した。 しかしフィリップ王は包囲を解くことができず、飢餓のため町は降伏交渉を余儀なくされたのである。 エドワード王は、町の主要メンバー6人が自分の元へ出頭すれば町の人々は救うと持ちかけたが、それは6人の処刑を意味していた。 エドワード王は6人が、裸に近い格好で首に縄を巻き、城門の鍵を持って歩いてくるよう要求したのである。

町の裕福な指導者のうちの一人、ユスタシェ・ド・サン・ピエール(Eustache de Saint Pierre)が最初に志願し、すぐに5人の市民、ジャン・デール(Jean d'Aire)、ジャック・ド・ヴィッサン(Jacques de Wissant)、ピエール・ド・ヴィッサン(Pierre de Wissant)、ジャン・ド・フィエンヌ(Jean de Fiennes)、アンドリュー・ダンドル(Andrieu d'Andres)が後に続いた。 やせ衰えた彼らはズボンも脱いでサン・ピエールを先頭に6人、町の城門へと歩いた。
まさにこの、敗北、英雄的自己犠牲、死に直面した恐怖の交錯する瞬間をロダンは捉え、強調し、迫力ある群像を作り出したのである。

歴史的には、処刑が予測された6人の命は、エドワード王妃フィリッパ・オブ・エノーの嘆願により助命された。 彼女は、生まれてくる子どもに殺戮は悪い前兆となると言って夫を説き伏せたのである。


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ロンドンのヴィクトリア・タワーガーデンのカレーの市民。フランスの法の元、ロダンの死後この作品は12点しか鋳造されなかった。ロンドンのものは、1911年に英政府がそのうちの1点を購入したものである。


『カレーの市民』の制作と展示
この作品は1880年、カレー市長により町の広場への設置が提案された。通常なら戦勝記念のモニュメントだけが建設されるが、フランスは普仏戦争の敗北で破壊的被害を受けており、若者の犠牲を表彰することが切望されていた。しかしロダンの作品は論争を生じた。市民を英雄的表現ではなく、むしろ陰気で疲れきった姿として描き出したからである。

ロダンの意図では、このモニュメントは鑑賞者と同じ地面の高さに展示することとされていた。これは、彫刻作品を伝統的な高い台座の上ではなく地面に直接置いたという点で革新的であったが、ロダン死後の1924年までカレー市議会はロダンの意図に反して、像を高い台座上に設置し続けた。

世界各地にある『カレーの市民』は、場所によって、人物像を1つずつ展示してある場合と、台座の上でひとまとまりの群像になっている場合とがある。 台座の上に載っている場合もあれば、地面の高さに展示してある場合もあり、少なくとも1つはわずかに沈み込んで、台座の上面が地面と同じ高さになっている。

1888年当時、彫刻を地面の高さに展示する事は困難であった。彫刻、美術作品を床に直接展示することはヨーロッパでは現在も同じように困難である。 ヨーロッパの美術館などでの展示は高すぎるのではないかというところに展示されている事もある。「芸術」を高く展示することによってその崇高性を増しているのだ。





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ブルックリン美術館


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バーゼル市立美術館


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スタンフォード大学


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オーストラリア国立美術館


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フィラデルフィア美術館


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ロダン美術館 パリ



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フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン François-Auguste-René Rodin [Geschichte 歴史]

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考える人 京都国立博物館

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ロダン1893 ナダール撮影

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St John the Baptist Preaching 1878

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カレーの市民

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地獄の門


フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin, 1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。

パリ在住の労働者階級の子として生まれ、エコール・ボザールなどの美術の専門教育(アカデミズム)を受けず、特に青年期以降は殆ど独学で彫刻を習得した事で知られる。

本人の談によれば10歳の時に初めて絵を描いた事で美術に興味を持ち、14歳の時に地元のプティット・エコール(小さな学校)と呼ばれる工芸学校に入校した。子供達に絵画やデッサンを教えていたルコック・ボードランという教員はロダンを最初に評価した人物で、後年にロダンは感謝の言葉を残している。

プティット・エコールを退学した直後、ロダンは学業継続を望んでエコール・ボザール(グラン・エコール)に入学を志願した。ロダンは同窓生をモデルにした塑像を提出したが、ボザールからの評価は不合格だった。諦めずに翌年と翌々年も塑像を提出し続けたが、全くボザールからは相手にされなかった。当時のボザールは技術的な要求水準が然程高くなかったとされ、数度に亘って入学を拒否された事はロダンにとって非常に大きな挫折なった。

ロダンはボザール(美術大学)での新古典主義に基いた彫刻教育とは異なる嗜好で作品を作っていた事によって結局美大入学を許される事はなかったと言われる。そのときの教授はロダンの作風を理解することはなく、『近代彫刻の父』は美術大学に入れなかった。


1863年、ボザール入学を果たせなかったロダンに追い討ちを掛けたのが姉マリアの死であった。ロダンを支えていた姉は恋人との失恋劇で精神を病み、俗世を捨て修道女になっていたが、修道院で病没。姉の恋人を最初に紹介したロダンは激しい罪悪感に苦しみ、姉の後を追うように修道院に入会、修道士見習いとして神学へと道を変えようとした。だがロダンの指導を任されたピエール・ジュリアン司教は彼が修道士に不向きだと判断し、美術の道を続けるように諭した。


修道会を離れたロダンは動物彫刻の大家であったアントワーヌ・ルイ・バリーに弟子入りして、深い影響を受けた。また24歳の時には生涯の妻となる裁縫職人のローズと知り合い、長男オーギュスト・ブーレ・ロダンを儲け、装飾職人として働いた。1870年普仏戦争が勃発、近視であった事から徴兵を逃れる事ができたが戦争の影響で生活が苦しくなり、30歳まで家族を養うだけの稼ぎを持てなかった。

職を求めてロダンは家族と新天地ベルギーへ移住。知り合いの紹介でブリュッセル証券取引所の建設作業に参加した。当初は仕事が終わればすぐにフランスに戻るつもりだったが、様々な理由からベルギーで6年間滞在を続ける。彼は装飾職人として独学で彫刻の技法を修練していたが、展覧会用の作品を作る余裕はなく、誰も彼が彫刻家としての夢を抱いていた事を知らなかった。

1875年、親方との関係が悪化、ロダンはベルギー滞在中の貯蓄をもってローズを連れ、念願のイタリアへと旅行する。そこで目の当たりにしたドナテッロとミケランジェロの彫刻に衝撃を受けたロダンは、多大な影響を両者から受ける。

彼は「アカデミズムの呪縛は、ミケランジェロの作品を見た時に消え失せた」と語っている。ベルギーに戻ったロダンは早速イタリア旅行で得た情熱を糧に『青銅時代』を製作、十数年ぶりに彫刻家として活動を開始する。
美術大学から拒否され続けたロダンはその事を10数年間苦しみ、そして再び美術制作に入る。

『青銅時代』はオーギュスト・ネイトと言う人物をモデルにした等身大の男性像。極めて緻密でリアルな作品であったが、あまりのリアルさのために「実際の人間から型を取ったのではないか」との疑いをかけられる、憤慨したロダンは2年後に人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を新たに作った。型を取ったのではなかったと解った審査員たちは、ロダンの彫刻に対して賞賛の言葉を送り、ロダンの名は一気にフランス中に広まった。

ロダンは簡単には受け入れられなかった。

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Mensch 人 [Geschichte 歴史]

ドイツ語で「人」のことをMenschメンシュという。 複数形ではMenschenメンシェン

もともとの語源にmessenメッセンという動詞がある。

messenは(長さ・大きさ・量などを)はかる、測定、計量する、はかり比べる。等の意

messenする者(Messer)が直接の語源となって、現在のMenschen=「人間」となる。

何かを感知して判断(messen)することが人間(Mensch)である。

何かをはかるには、何かを基準にするしかない。

自分の中にある基準や自分の外にある基準を使う。



ただこ80パーセントくらいの人がこういう判断をする。

みなが良いというから自分も「良い」という。

皆が「これは面白くない」というのを見て、「うん。これは面白くない」という。

この場合は対象をmessenしているのではなく、それへの反応をmessenして、それに順応している。

この順応は「人間である自分」の喪失。

messenすることを喪失したMenschen

それでもまだMenschenなのだろうか?

そのこともmessenしながら

一人のMenschでありたいと思う。





タグ:ドイツ語
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ジャン・ヌーヴェル Jean Nouvel ギャラリーラファイエットベルリン Galeries Lafayette Berlin [Architektur 建築]

http://www.galerieslafayette.de/



ベルリンのフィリードリッヒ通りは銀座のような感じでしょうか、しかしベルリンは名前と面積は大きいのですが、第二次世界大戦後の分割の影響もあり、街がうまく発展しなかったという事が言えます。
壁で分割されていたので、戦前の中心部であった場所がちょうど緩衝地帯のヴォイドとされ、街の西と東に街ができ、中心のない街となりました。
壁崩壊の統一後もベルリンにはこれと言った工業はありませんので、経済の中心地という感じはありません。住んでいた頃にプラダの店舗が撤退していたのを覚えています。

そんななか一番のおしゃれデパートがこのジャン ヌーベルのラファイエットでしょう。
ここはフランス系のデパートですから、中身もおフランスでおしゃれです。

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ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel, 1945年8月12日 - ) は、フランスの建築家。フランスのロット=エ=ガロンヌ県フーメル(Fumel)出身。1987年の『アラブ世界研究所』(パリ)設計で脚光を浴びた。ガラスによる建築を得意とし、『カルティエ現代美術財団』のようにガラス面の光の反射や透過により建物の存在が消えてしまうような「透明な建築」や、多様な種類のガラスを使い独特の存在感を生み出す建築を多く作っている。


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ヴォルフガング・ティルマンス Wolfgang Tillmans [Ausstellung 展覧会]

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Galerie Daniel Buchholz(Fasanenstraße 30 10719 Berlin)でティルマンスの写真展を見ました。

ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans、1968年8月15日 - )はドイツ出身の写真家。ロンドンとベルリンを拠点に活動する。2000年にターナー賞を受賞。

1968年、西ドイツのレムシャイト生まれ。

幼い頃は天文少年で、天文現象をきっかけに映像の世界に興味を持つようになったと語っており、のちには天体を題材とした作品集も発表している。

1980年代頃から、クラブなど若者文化を題材にした写真作品の制作を始め、雑誌『i-D』(en:i-D)などで発表していた。1990年から1992年にかけてはイギリスのボーンマス&プール・カレッジ・オブ・アート&デザイン(en:The Arts University College at Bournemouth)に在学。

1993年にケルンで初の個展。2000年に初めてターナー賞にノミネートされ、受賞。
自身がゲイであることを公言している。

作風はよくある日常風景のスナップのような無造作な作品だが、実際には照明など緻密な計算のもとに撮影されている。
複数の作品を展示室内にインスタレーションのように配置させることもある。


2004年の東京のオペラシティギャラリーでの展覧会は大規模でさまざまなサイズの写真が展示空間に構成されていてとても面白かったという記憶があります。

その後、2008年にベルリンのハンブルク駅現代美術館での個展も見ていますが、このときは地味&凡庸な展示で、同じような作品が東京での展示とは全く違った印象になりました。


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Yoko Ono in Haunch Of Venison Berlin [Ausstellung 展覧会]

オノ・ヨーコの個展がベルリン中央駅近くのギャラリー Haunch Of Venison でありました。

前回のベルリン訪問時はここでダミアン・ハーストの展覧会がありましたので、ビッグネームが見れるギャラリーです。

「Das Gift」という名前の展覧会でしたが、このギフト英語のギフト・贈り物ではなくて、ドイツ語の冠詞dasがついていますので、ドイツ語のギフトです。

ドイツ語でギフトというと、「毒」です。

意味は毒、毒物、毒薬、有害物質、あるいは憤怒、憎しみ、隠語的に(毒という意味を含んだ)贈り物。

展覧会空間内には映像作品や観客参加型の作品、ピストルの弾丸が貫通した服やオブジェクトが展示されていました。

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ベルリンの市街地図がキャンバスになっています。
自分と関係のあった場所に、ドローイングなり、写真なり、言葉なりを観客が書き込み、貼り付けて作品が出来上がります。
昔住んでいた通りに書き込みしました。


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掛かっているのは弾丸が貫通した外套です。


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人が撃たれるような映像。


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ベルリン ユダヤ博物館 Jüdisches Museum Berlin [Architektur 建築]

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Alle Fotos sind von der Web-Seite des Museums © Jüdisches Museum Berlin


ベルリンを離れてベルリンを見ると、ここは最もベルリンらしい建築かなと思う。

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Berlin kostenlos erleben 無料で楽しむベルリン [Reise 旅]

http://www.gratis-in-berlin.de/

gratisグラティス=タダ

このサイトでは無料でのベルリンの楽しみ方がいろいろと紹介されています。

例えば、オノ・ヨーコさんの個展とか

Yoko Ono bei Haunch of Vension: Das Gift
heute bis Samstag 13.11.2010
von: pauline

ヴォルフガング・ティルマンスの展覧会が見つかりました。

Wolfgang Tillmans in Charlottenburg
heute bis Samstag 13.11.2010
von: pauline

ベルリンの美術館といえば、木曜日の閉館時間前の4時間はどこも無料で入場ができたのに~!

なんと今年の10月からこのサービスは無くなってしまったようです。

残念!


Gratis in Berlinで見つけた目玉はこれかな

Robert Mapplethorpe Retrospektive bei c/o Berlin:

21.01.2011, Berlin
Kostenlos
C/O Berlin präsentiert die Retrospektive des amerikanischen Fotografen Robert Mapplethorpe. Von frühen Polaroids bis hin zu den späten Stilleben und natürlich auch die Fotos, die seinerzeit für Skandale sorgten. Bei der Vernissage ist der Eintritt frei.

一月にメイプルソープ展があるのですね!初日は無料!行きたい!!





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Heinemann in Düsseldorf デュッセルドルフのハイネマン [Essen 食]

先日はせっかくデュッセルドルフに来たのなら、ということでハイネマンにいきました。
https://www.konditorei-heinemann.de/

ここのシャンパントリュフが美味しい

2005年に初めてドイツ旅行した時に買ってみて、美味しかったのでそれからデユッセルドルフに来る度に買います。
ケーキも美味しそうですが残念ながら未体験。

ドイツのケーキは日本人には最初「美味しそう」には見えません。

慣れてくると、それも美味しいのですが。


今回は友人の妹が婚約パーティを開くという事で、お土産としてチョコの詰め合わせを購入。

ここハイネマンはお値段も少し張りますが、ドイツにしてはパッケージも洗練されています。


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