So-net無料ブログ作成
検索選択

秋篠寺 新薬師寺 奈良ツアー [Reise 旅]

帰国して知ったのですが、仏像ブームらしいですね。

古いものを好きな人も多くて、京都などでは着物の人も多くなったような気がします。

着物は化繊や中古などが安いからかも知れませんが…

正倉院展とか阿修羅像とか、人気が高いのはなぜでしょうか?

阿修羅はファンクラブもあるそうです。 聖徳太子二歳像も崇拝の対象になっていると聞きました。

漫画などの影響も大きいということですので、その漫画を見ておこうと思います。

さて、奈良ですが、4つほど寺巡りをしました。 その中から秋篠寺と新薬師寺です。


秋篠寺は苔が綺麗です。 ふさふさと良い毛並み。ならぬ素晴らしいコケ並みです。

800px-Akishinodera1.jpg

国宝の本堂には有名な伎芸天が立っています。

伝・伎芸天立像-像高205.6センチメートル。本堂仏壇の向かって左端に立つ。瞑想的な表情と優雅な身のこなしで多くの人を魅了してきた像である。頭部のみが奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の木造による補作だが、像全体としては違和感なく調和している。「伎芸天」の彫像の古例は日本では本像以外にほとんどなく、本来の尊名であるかどうかは不明である。秋篠寺には、頭部を奈良時代の脱活乾漆造、体部を鎌倉時代の木造とする像が、本像を含め4体ある。

日本で唯一の芸術の神様ですので、拝んでお守りも頂きました。


当たり前のことですが、奈良は京都とは違いますね!

幼い頃からよく遠足などで奈良や京都に行っていたのと、大学は京都で通っていたので、京都や奈良の事をわりと知っているつもりだったのです。
でも今回久しぶりに見てみると、全く違った側面を感じました。

とても単純化して言うと、奈良は朝鮮的な要素が京都よりも感じられ、京都は中国的な要素のほうが強い気がします。

平城京も平安京も唐の長安、現在の中国、西安がモデルですし、中国や韓国の影響は日本中にありますが、
これは奈良にある建物の感じや、庭園の灯篭のプロポーションなどを観察していると、ふとそういう感覚を改めて感じたのです。


新薬師寺です
http://www.k5.dion.ne.jp/~shinyaku/juunishin.html


800px-Shin-Yakushiji_2002.jpg

この本堂のみが奈良時代の建物で、その中にご本尊と十二神将が祭られています。
建物も内部の像たちも国宝です。

shinyakushiji1.jpg

その中でも有名なのが

basara.jpg

この伐折羅大将です。

バサラとかヴァジラと読むのですが、私の生まれ年である戌年の守護聖人?的な存在ということでお参りさせて頂きました。





nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

石上純也-建築のあたらしい大きさ 豊田市美術館 Junya Ishigami: Another scale of architecture Toyota Municipal Museum of Art [Ausstellung 展覧会]

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2010/special/ishigami.html
豊田市美術館での石上純也展行ってきました。
これはなぜ気になっていたかというと、夏にヴェネチアの建築展は見に行ったのですが、その時にはもう石上さんの展示は崩壊していましたので、かろうじて構造の面影のようなものを見ました。今回、同様の作品がちゃんと展示されているということで行って来ました。

感想としてはとても感じのよい展覧会でした。愛知県に住む友人夫妻といったのですが、一般の美術展よりも疲れない。それは建築がデザインとして展示されているからかもしれません。

さすがに新しい感覚の作品と展示は楽しく、気になっていたベネチアでの展示は最後の部屋にありました。
構造的には少し変更されていて、当時「空気の建築」だったものは「雨の建築」となっていました。
これはこれで壮観なのですが、どうも逃がした魚が大きいのか、ベネチアでの展示を見たい!という欲望が少し残りました。

しかし、現在の新しい美術館展示の動向を知るためにもわざわざ見に行って良かった!!という展覧会でした。



ishigami_pic05.jpg

ishigami_pic04.jpg

ishigami_pic02.jpg

ishigami_pic03.jpg



石上 純也(いしがみ じゅんや、1974年(昭和49年) - )は日本の建築家。(株)石上純也建築設計事務所主宰。日本建築学会賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞など多数受賞。


Architecture Biennale - Junya Ishigami+Associates (NOW Interviews)

石上 純也
神奈川県生まれ。
1997年 武蔵工業大学卒業。
2000年 東京芸術大学大学院修士課程修了。
2000年 (株)妹島和世建築設計事務所入所。
2004年 (株)石上純也建築設計事務所設立。
2010年 東北大学大学院非常勤講師


石上純也の師匠である妹島 和世(せじま かずよ、1956年 - )は、日本の建築家。慶應義塾大学客員教授、多摩美術大学客員教授。プリツカー賞、日本建築学会賞、吉岡賞他多数受賞。

401px-Kazuyo_Sejima_mg_4973-small.jpg

妹島 和世
1956年 - 茨城県日立市に生まれ育つ。
1974年 - 茨城県立水戸第一高等学校を卒業。
1979年 - 日本女子大学家政学部住居学科卒業。
1981年 - 日本女子大学大学院修了。同年、伊東豊雄建築設計事務所に入所する。在籍時には東京遊牧少女の包、神田Mビルなどを担当する。
1987年 - 妹島和世建築設計事務所を設立し、独立する。
1989年 - 第6回吉岡賞受賞。
1995年 - SANAAを西沢立衛と共に設立する。
1998年 - 日本建築学会賞受賞。
2005年 - ショック賞(視覚芸術部門)受賞。
2006年 - 日本建築学会賞2度目受賞。
2010年 - 女性として2人目のプリツカー賞受賞。
現在、慶應義塾大学客員教授、多摩美術大学客員教授、金沢美術工芸大学非常勤講師を務める。

今年のヴェネチアビエンナーレ建築展では妹島和世が総合ディレクターをつとめ、企画展示部門の金獅子賞は石上純也が受賞。




こちらは東京都現代美術館の長谷川祐子による企画「Space for your future アートとデザインの遺伝子を組み替える」から http://sfyf.mot-art-museum.jp/#



長谷川祐子のトーク







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

奈良国立博物館と大和文華館 Nara National Museum and the Museum Yamato Bunkakan [Ausstellung 展覧会]

奈良の国立博物館前では鹿に持っていた紙袋を食べられました。
ここでの書跡は見所です。
今回見れたものを三つ。

空海(弘法大師)の筆はさすがの達筆。美しく大らかな文字。
最澄の筆はその息遣いまで伝えるかのような活き活きとしたもの。
この二つは文字を見ているだけでその凄みと空気感に感動。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を目前にした時に似た感覚、両者ともに素晴らしい。特に最澄のものは普通のレベルの「美しさ」ではないものがあっておもしろかった。

伝教大師筆尺牘(久隔帖).jpg


最澄の久隔帖
最澄(伝教大師、767~822)が高雄山寺(今の神護寺)の空海のもとにいた愛弟子の泰範に宛てた書状。現存する唯一の最澄自筆書状で、「久隔清音(久しく御無沙汰を)」と書き出しているところから、「久隔帖」と呼ばれて名高い。内容は、先に空海から送られた詩の序のなかに知らない書物の名があり、唱和する詩を作るために、その図儀や大意を空海に聞いて知らせてほしい、というものである。  時に最澄は47歳。文中、空海を指す「大阿闍梨」の箇所で行を改めるなど、7歳年下の空海に対して礼を尽くしている。  この書状は、最澄と空海との親しい交わりを示すと共に、最澄の真摯な人柄と恭謙な心情をうかがわせる。文字は清澄で格調が高い。  「久隔帖」は江戸時代には青蓮院に伝えられており、多和文庫(香川県大川郡志度町の多和神社)を経て、美術品の蒐集家として知られる原三渓(1866~1939)が所有していた時期もあった。





http://www.narahaku.go.jp/index.html

金剛般若経開題残巻(弘法大師筆).jpg



空海の金剛般若経開題
空海(弘法大師、774~835)が、義浄訳『能断金剛般若経』を密教の立場から解釈したもの。文中には加筆訂正の跡が著しく、空海の自筆草稿本であることを明らかにしている。文字の運筆は鋭くかつ軽妙で、空海の草書の面目をよく伝えている。  もとは醍醐寺三宝院に伝来していたようで、早くに切断され、現存するのは約150行である。この残巻は有栖川宮家→高松宮家に所蔵されていた38行で、このほか京都国立博物館が所蔵する残巻63行(国宝、神光院旧蔵)やいくつかの断簡の存在が知られている。なお大正12年(1923)の大正大震災の折に、86行分は焼失してしまった。  弘仁4年(813)10月25日に、藤原葛野麻呂が『金剛般若経』187巻の書写供養をおこなった際、空海がその願文を執筆しており、本書はその折に作られたとする説がある。


禅院額字 前後.jpg


禅院額字 前後
中国 南宋
京都 東福寺
これも迫力がありました。


博物館の後、学園前まで近鉄に乗っていったのが、大和文華館。ここは今回が初めてでしたが素晴らしい美術館。規模は大きくありませんが、内容は…素晴らしい!!

http://www.kintetsu.jp/yamato/index.html


一字蓮台法華経〈普賢菩薩勧発品〉.jpg


こちらは平安時代の巻物 国宝 一字蓮台法華経(普賢菩薩勧発品)
金を散らばめた装飾性の高いもの、一文字一文字も蓮で装飾されています。


雪村自画像.jpg



呂洞賓図.jpg


こちらの見所は雪村!すごいです!!
画像は見つからなかったのですが、このほかに大規模な屏風絵 花鳥図屏風、その隣は狩野元信の瀑布図があり、異様なまでの迫力に満ちた展示。。。

すばらしい展示に魅了されました。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

相国寺承天閣美術館 円山応挙 七難七福図巻 京都国立近代美術館 上村松園展 [Ausstellung 展覧会]

京都御所の北側、今出川通りをはさんで同志社大学があります。
その北側に面しているのが、相国寺です。http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/index.html
その相国寺内にある承天閣美術館で円山応挙の巻物の特別展示がありました。

展覧会の案内です
《重要文化財 円山応挙筆 七難七福図巻 全三巻》
kasai.gif
  応挙が三井寺山内の円満院(滋賀県大津市)住職の依頼によって描いた全長15メートル全3巻に及ぶ大作。世の申の様々な「難」(天災・人災)と「福」を真に迫るように描いている。
 地震や風水害、突然の天変地異は、この世の全てを押し流してしまう。火事はあっという間に、何もかも焼き尽くす。なすすべも無く逃げ惑う人々。罪人の斬首、磔刑、実際そのものの如く血が飛び散っている。
 反対の「福」には、婚礼の宴であろう、幸せに満ち溢れた笑み。豊作であったのであろう、米を運ぶ百姓の姿が実際その場にいるが如くに描かれている(続きに役所と代官の姿が描かれており、年貢米を納めているところが描かれている)。明和5年(1768)応挙36才。渾身の超大作。

《円山応挙(1733~95)》
円山 応挙(まるやま おうきょ、旧字表記では圓山應擧、享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期の絵師。

近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。
諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。
丹波国穴太村(京都府亀岡市)の生まれ。 15才で京都の石田幽汀の門に入り狩野派の画技を修得する。同時に眼鏡絵の制作も手がけ、西洋的遠近法を学び、やがて実証主義的精神のもとに写生重視の絵を画くようになっていく。また来朝した清国の画家沈南蘋や雲谷派の影響も受け、これらを融合し平明で親しみやすい装飾様式を完成させた。

応挙の作は先日、修学院離宮で見ています。IMG_0270.JPG

Okyo_Pine_Trees.jpg
雪松図屏風 三井記念美術館蔵(国宝)

有名な幽霊の絵。ふっくらとした量感が応挙らしく、
yurei.jpg

今回の巻物は、わざわざ見に行って良かったと思いました。
応挙の絵はこれまで優等生的な印象があったのですが、難の巻ではさすがに壮絶な場面もありつつ、見ごたえがありました。


続いて、近代美術館での上村松園の展覧会。今回は後期のみ見ることができました。

about_img.jpg
上村 松園(うえむら しょうえん、本名:上村 津禰(つね)(常子(つねこ)とも)、明治8年(1875年)4月23日 - 昭和24年(1949年)8月27日)は、日本画家。明治の京都下京(しもぎょう)に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いた。同じく日本画家の上村松篁(しょうこう)は息子、上村淳之(あつし)は孫にあたる。

京都市下京区四条通御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれ、京の伝統文化に育まれた松園は、明治・大正・昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(松園のことば)を念願として女性を描き続けた。


img_01.jpg
《序の舞》 1936(昭和11)年 重要文化財 東京藝術大学 各会場半期出品

1_img01.jpg
《人生の花》 1899(明治32)年 名都美術館


1_img02.jpg
《清女褰簾之図》 1895(明治28)年 北野美術館


3_1_img01.jpg
《草紙洗小町》 1937(昭和12)年 東京藝術大学


top_img.jpg
《焰》 1918(大正7)年 東京国立博物館

こちらは最終日ということもあってかすごい人ごみでした。
京都の秋に美術展といえば、だいたいルノワールだとか印象派展とか人気とりが多いです。

今回も東山の観光に組み合わせるには最高の展覧会だったのではないかと思います。
上村松園をまじめに見るのは初めてでしたが、絹の地に高級岩絵具という超高級なものでした。

素描も展示されていたのですが、専門家から指摘されているように、漫画とくに少女漫画の原画というような印象。

とにもかくにも一般の多くの観客を魅了する絵画です。同時に相似した画題を繰り返しますが30歳代での作品と60歳代での作品との間に絵画的にはほとんど変化のないように感じました。





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

金閣寺 銀閣寺 [Reise 旅]

kinkaku.jpg


鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。寺名は足利義満の法名に因む。山号は北山(ほくざん)。寺紋は五七桐。室町時代前期の北山文化を代表する建築で、1994年(平成6年)に古都京都の文化財として世界遺産に登録された。中心となる建築物である舎利殿を金閣、寺院全体を金閣寺と通称する。

KinkakuJiDetail.jpg


Burned_Kinkaku.jpg
1950年(昭和25年)7月2日未明、放火により国宝金閣(舎利殿)と安置されていた仏像等を焼失。

1994年(平成6年)12月、世界遺産(文化遺産)古都京都の文化財として登録、現在に至っている。
800px-Kinkakujihonden.jpg

Rokuonjikinkaku-winter.jpg





450px-GinkakujiTemple.jpg

慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、室町時代後期に栄えた東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)。

山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。寺紋は五七桐および二つ引両。

足利義政が鹿苑寺の金閣舎利殿を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。

1952年3月29日には庭園が 特別史跡および特別名勝に指定された。1994年12月17日には「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されている。

701px-Ginkaku-ji_after_being_restored_in_2008.jpg

800px-Jisyohji-05_Jun.jpg

IMG_0239.JPG

IMG_0247.JPG
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

桂離宮 修学院離宮 Shugakin and Katsura Imperial Villas [Reise 旅]

皇居・御所・仙洞御所・桂離宮と修学院離宮は宮内庁管理で、見学無料です。

今回は帰国中に日本のものを改めてみてみたい。

ということで、まずは京都の桂離宮と修学院離宮に行ってきました。

それぞれに違った魅力があります。 すばらしいものです。


参観にはそれぞれ申し込みが必要です。

http://sankan.kunaicho.go.jp/

人気の高いところは三ヶ月前の申し込み期間が始まってスグ予約が埋まってしまうこともあります。






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

徳川美術館 Tokugawa Art Museum [Ausstellung 展覧会]

hakutemmoku.jpg
http://www.tokugawa-art-museum.jp/index.html

現在日本にいちじきこくしています。

愛知名古屋市の徳川美術館に行ってきました。

特別展「国宝 初音の調度」では日本一豪華な嫁入り道具といわれる尾張徳川家二代光友夫人の千代姫の婚礼調度(鏡台や貝桶、棚などの蒔絵調度を中心に、染織・金工品など総計75件が国宝)を公開中。
千代姫は三代将軍家光の長女で、寛永16年(1639)、わずか満二歳で尾張徳川家にお嫁入りしました。

こちらは絢爛豪華で国宝の連発でした。
蒔絵の黄金加減にすこし飽きもきます。。

常設展示も時期により入れ替えられています、徳川家康所用の太刀、短刀。武野紹鴎が所用していた白天目茶碗などが見れました。
さすがにこれらは見ごたえのある、名古屋にこれを見るために来る価値がある、そういうものでした!感動。


hakutemmoku.jpg
http://www.tokugawa-art-museum.jp/index.html
室町/16世紀
高6.4 口径12.1
一口
重文

--------------------------------------------------------------------------------
白天目茶碗は、天正元年(一五七三)十一月に織田信長が催した茶会で用いられた事例をはじめ、中世末期から近代初期にかけての茶会記に、その使用が記されている。武野紹鴎所持と伝えられるこの茶碗は、天目といっても建盞茶碗に見られるような厳しい姿ではなく、側面に膨らみを持った碗形である。この穏やかな形姿と口縁部の覆輪の金色、側面の清楚な白釉、見込に溜まったビードロの黄緑色と各色が、見事に調和のとれた発色をしている。これまで美濃で製作されたと考えられていたが、近頃この茶碗と同様な破片が多治見市小名田窯下窯から発見され、同窯がこの茶碗の焼かれた窯である可能性が出てきた。武野紹鴎からその孫の新右衛門、初代義直と伝来した。『玩貨名物記』所載。
http://bunka.nii.ac.jp/


短刀 銘 正宗.jpg

太刀 銘 正恒
たち めい まさつね

古備前(こびぜん)を代表する名工 正恒(まさつね)作の太刀。腰反(そ)り高く、踏張(ふんば)りの強いこの太刀には、古雅の風があると賞賛されている。八代将軍吉宗の将軍退職祝いとして、延享二年(一七四五)十月十九日に尾張家八代宗勝(むねかつ)の嫡子宗睦(むねちか 後の尾張家九代)が拝領した。
【国宝 平安時代 12世紀】



太刀 銘 正恒.jpg

短刀 銘 正宗(名物 不動正宗)
たんとう めい まさむね めいぶつ ふどうまさむね

日本刀の代名詞として使用される程、著名な鎌倉鍛冶・正宗作の短刀。銘が入った作は極めて少ないため、正宗研究に欠かせない代表的作品である。不動明王の彫物がある事から、不動正宗とも称され、豊臣秀次、前田利家、徳川家康、徳川秀忠らの手を経て尾張徳川家へ伝来した。彫物は本阿弥光二(光悦の父)の好みにより、野間玄琢の祖父が彫ったと伝えられている。
【重要文化財 鎌倉時代 14世紀】



太刀 銘 来孫太郎作.jpg

太刀 銘 来孫太郎作
たち めい らいまごたろうさく

鎌倉時代後期の名工 来国俊(らいくにとし 孫太郎(まごたろう))作の太刀。来国俊は、京都の刀鍛冶で多くの名刀を残したが、「孫太郎」の銘を入れた作はこの太刀が唯一。製作した年まで記された太刀として資料的価値は極めて高く、出来映えも完璧に近い優品である。徳川家康が所有した太刀として尾張徳川家に伝来した。
【国宝 鎌倉時代 正応5年(1292)】

http://www.tokugawa-art-museum.jp/artifact/room1/






nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。