So-net無料ブログ作成
Ausstellung 展覧会 ブログトップ
前の10件 | -

石上純也-建築のあたらしい大きさ 豊田市美術館 Junya Ishigami: Another scale of architecture Toyota Municipal Museum of Art [Ausstellung 展覧会]

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2010/special/ishigami.html
豊田市美術館での石上純也展行ってきました。
これはなぜ気になっていたかというと、夏にヴェネチアの建築展は見に行ったのですが、その時にはもう石上さんの展示は崩壊していましたので、かろうじて構造の面影のようなものを見ました。今回、同様の作品がちゃんと展示されているということで行って来ました。

感想としてはとても感じのよい展覧会でした。愛知県に住む友人夫妻といったのですが、一般の美術展よりも疲れない。それは建築がデザインとして展示されているからかもしれません。

さすがに新しい感覚の作品と展示は楽しく、気になっていたベネチアでの展示は最後の部屋にありました。
構造的には少し変更されていて、当時「空気の建築」だったものは「雨の建築」となっていました。
これはこれで壮観なのですが、どうも逃がした魚が大きいのか、ベネチアでの展示を見たい!という欲望が少し残りました。

しかし、現在の新しい美術館展示の動向を知るためにもわざわざ見に行って良かった!!という展覧会でした。



ishigami_pic05.jpg

ishigami_pic04.jpg

ishigami_pic02.jpg

ishigami_pic03.jpg



石上 純也(いしがみ じゅんや、1974年(昭和49年) - )は日本の建築家。(株)石上純也建築設計事務所主宰。日本建築学会賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞など多数受賞。


Architecture Biennale - Junya Ishigami+Associates (NOW Interviews)

石上 純也
神奈川県生まれ。
1997年 武蔵工業大学卒業。
2000年 東京芸術大学大学院修士課程修了。
2000年 (株)妹島和世建築設計事務所入所。
2004年 (株)石上純也建築設計事務所設立。
2010年 東北大学大学院非常勤講師


石上純也の師匠である妹島 和世(せじま かずよ、1956年 - )は、日本の建築家。慶應義塾大学客員教授、多摩美術大学客員教授。プリツカー賞、日本建築学会賞、吉岡賞他多数受賞。

401px-Kazuyo_Sejima_mg_4973-small.jpg

妹島 和世
1956年 - 茨城県日立市に生まれ育つ。
1974年 - 茨城県立水戸第一高等学校を卒業。
1979年 - 日本女子大学家政学部住居学科卒業。
1981年 - 日本女子大学大学院修了。同年、伊東豊雄建築設計事務所に入所する。在籍時には東京遊牧少女の包、神田Mビルなどを担当する。
1987年 - 妹島和世建築設計事務所を設立し、独立する。
1989年 - 第6回吉岡賞受賞。
1995年 - SANAAを西沢立衛と共に設立する。
1998年 - 日本建築学会賞受賞。
2005年 - ショック賞(視覚芸術部門)受賞。
2006年 - 日本建築学会賞2度目受賞。
2010年 - 女性として2人目のプリツカー賞受賞。
現在、慶應義塾大学客員教授、多摩美術大学客員教授、金沢美術工芸大学非常勤講師を務める。

今年のヴェネチアビエンナーレ建築展では妹島和世が総合ディレクターをつとめ、企画展示部門の金獅子賞は石上純也が受賞。




こちらは東京都現代美術館の長谷川祐子による企画「Space for your future アートとデザインの遺伝子を組み替える」から http://sfyf.mot-art-museum.jp/#



長谷川祐子のトーク







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

奈良国立博物館と大和文華館 Nara National Museum and the Museum Yamato Bunkakan [Ausstellung 展覧会]

奈良の国立博物館前では鹿に持っていた紙袋を食べられました。
ここでの書跡は見所です。
今回見れたものを三つ。

空海(弘法大師)の筆はさすがの達筆。美しく大らかな文字。
最澄の筆はその息遣いまで伝えるかのような活き活きとしたもの。
この二つは文字を見ているだけでその凄みと空気感に感動。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を目前にした時に似た感覚、両者ともに素晴らしい。特に最澄のものは普通のレベルの「美しさ」ではないものがあっておもしろかった。

伝教大師筆尺牘(久隔帖).jpg


最澄の久隔帖
最澄(伝教大師、767~822)が高雄山寺(今の神護寺)の空海のもとにいた愛弟子の泰範に宛てた書状。現存する唯一の最澄自筆書状で、「久隔清音(久しく御無沙汰を)」と書き出しているところから、「久隔帖」と呼ばれて名高い。内容は、先に空海から送られた詩の序のなかに知らない書物の名があり、唱和する詩を作るために、その図儀や大意を空海に聞いて知らせてほしい、というものである。  時に最澄は47歳。文中、空海を指す「大阿闍梨」の箇所で行を改めるなど、7歳年下の空海に対して礼を尽くしている。  この書状は、最澄と空海との親しい交わりを示すと共に、最澄の真摯な人柄と恭謙な心情をうかがわせる。文字は清澄で格調が高い。  「久隔帖」は江戸時代には青蓮院に伝えられており、多和文庫(香川県大川郡志度町の多和神社)を経て、美術品の蒐集家として知られる原三渓(1866~1939)が所有していた時期もあった。





http://www.narahaku.go.jp/index.html

金剛般若経開題残巻(弘法大師筆).jpg



空海の金剛般若経開題
空海(弘法大師、774~835)が、義浄訳『能断金剛般若経』を密教の立場から解釈したもの。文中には加筆訂正の跡が著しく、空海の自筆草稿本であることを明らかにしている。文字の運筆は鋭くかつ軽妙で、空海の草書の面目をよく伝えている。  もとは醍醐寺三宝院に伝来していたようで、早くに切断され、現存するのは約150行である。この残巻は有栖川宮家→高松宮家に所蔵されていた38行で、このほか京都国立博物館が所蔵する残巻63行(国宝、神光院旧蔵)やいくつかの断簡の存在が知られている。なお大正12年(1923)の大正大震災の折に、86行分は焼失してしまった。  弘仁4年(813)10月25日に、藤原葛野麻呂が『金剛般若経』187巻の書写供養をおこなった際、空海がその願文を執筆しており、本書はその折に作られたとする説がある。


禅院額字 前後.jpg


禅院額字 前後
中国 南宋
京都 東福寺
これも迫力がありました。


博物館の後、学園前まで近鉄に乗っていったのが、大和文華館。ここは今回が初めてでしたが素晴らしい美術館。規模は大きくありませんが、内容は…素晴らしい!!

http://www.kintetsu.jp/yamato/index.html


一字蓮台法華経〈普賢菩薩勧発品〉.jpg


こちらは平安時代の巻物 国宝 一字蓮台法華経(普賢菩薩勧発品)
金を散らばめた装飾性の高いもの、一文字一文字も蓮で装飾されています。


雪村自画像.jpg



呂洞賓図.jpg


こちらの見所は雪村!すごいです!!
画像は見つからなかったのですが、このほかに大規模な屏風絵 花鳥図屏風、その隣は狩野元信の瀑布図があり、異様なまでの迫力に満ちた展示。。。

すばらしい展示に魅了されました。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

相国寺承天閣美術館 円山応挙 七難七福図巻 京都国立近代美術館 上村松園展 [Ausstellung 展覧会]

京都御所の北側、今出川通りをはさんで同志社大学があります。
その北側に面しているのが、相国寺です。http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/index.html
その相国寺内にある承天閣美術館で円山応挙の巻物の特別展示がありました。

展覧会の案内です
《重要文化財 円山応挙筆 七難七福図巻 全三巻》
kasai.gif
  応挙が三井寺山内の円満院(滋賀県大津市)住職の依頼によって描いた全長15メートル全3巻に及ぶ大作。世の申の様々な「難」(天災・人災)と「福」を真に迫るように描いている。
 地震や風水害、突然の天変地異は、この世の全てを押し流してしまう。火事はあっという間に、何もかも焼き尽くす。なすすべも無く逃げ惑う人々。罪人の斬首、磔刑、実際そのものの如く血が飛び散っている。
 反対の「福」には、婚礼の宴であろう、幸せに満ち溢れた笑み。豊作であったのであろう、米を運ぶ百姓の姿が実際その場にいるが如くに描かれている(続きに役所と代官の姿が描かれており、年貢米を納めているところが描かれている)。明和5年(1768)応挙36才。渾身の超大作。

《円山応挙(1733~95)》
円山 応挙(まるやま おうきょ、旧字表記では圓山應擧、享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期の絵師。

近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。
諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。
丹波国穴太村(京都府亀岡市)の生まれ。 15才で京都の石田幽汀の門に入り狩野派の画技を修得する。同時に眼鏡絵の制作も手がけ、西洋的遠近法を学び、やがて実証主義的精神のもとに写生重視の絵を画くようになっていく。また来朝した清国の画家沈南蘋や雲谷派の影響も受け、これらを融合し平明で親しみやすい装飾様式を完成させた。

応挙の作は先日、修学院離宮で見ています。IMG_0270.JPG

Okyo_Pine_Trees.jpg
雪松図屏風 三井記念美術館蔵(国宝)

有名な幽霊の絵。ふっくらとした量感が応挙らしく、
yurei.jpg

今回の巻物は、わざわざ見に行って良かったと思いました。
応挙の絵はこれまで優等生的な印象があったのですが、難の巻ではさすがに壮絶な場面もありつつ、見ごたえがありました。


続いて、近代美術館での上村松園の展覧会。今回は後期のみ見ることができました。

about_img.jpg
上村 松園(うえむら しょうえん、本名:上村 津禰(つね)(常子(つねこ)とも)、明治8年(1875年)4月23日 - 昭和24年(1949年)8月27日)は、日本画家。明治の京都下京(しもぎょう)に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いた。同じく日本画家の上村松篁(しょうこう)は息子、上村淳之(あつし)は孫にあたる。

京都市下京区四条通御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれ、京の伝統文化に育まれた松園は、明治・大正・昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(松園のことば)を念願として女性を描き続けた。


img_01.jpg
《序の舞》 1936(昭和11)年 重要文化財 東京藝術大学 各会場半期出品

1_img01.jpg
《人生の花》 1899(明治32)年 名都美術館


1_img02.jpg
《清女褰簾之図》 1895(明治28)年 北野美術館


3_1_img01.jpg
《草紙洗小町》 1937(昭和12)年 東京藝術大学


top_img.jpg
《焰》 1918(大正7)年 東京国立博物館

こちらは最終日ということもあってかすごい人ごみでした。
京都の秋に美術展といえば、だいたいルノワールだとか印象派展とか人気とりが多いです。

今回も東山の観光に組み合わせるには最高の展覧会だったのではないかと思います。
上村松園をまじめに見るのは初めてでしたが、絹の地に高級岩絵具という超高級なものでした。

素描も展示されていたのですが、専門家から指摘されているように、漫画とくに少女漫画の原画というような印象。

とにもかくにも一般の多くの観客を魅了する絵画です。同時に相似した画題を繰り返しますが30歳代での作品と60歳代での作品との間に絵画的にはほとんど変化のないように感じました。





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

徳川美術館 Tokugawa Art Museum [Ausstellung 展覧会]

hakutemmoku.jpg
http://www.tokugawa-art-museum.jp/index.html

現在日本にいちじきこくしています。

愛知県名古屋市の徳川美術館に行ってきました。

特別展「国宝 初音の調度」では日本一豪華な嫁入り道具といわれる尾張徳川家二代光友夫人の千代姫の婚礼調度(鏡台や貝桶、棚などの蒔絵調度を中心に、染織・金工品など総計75件が国宝)を公開中。
千代姫は三代将軍家光の長女で、寛永16年(1639)、わずか満二歳で尾張徳川家にお嫁入りしました。

こちらは絢爛豪華で国宝の連発でした。
蒔絵の黄金加減にすこし飽きもきます。。

常設展示も時期により入れ替えられています、徳川家康所用の太刀、短刀。武野紹鴎が所用していた白天目茶碗などが見れました。
さすがにこれらは見ごたえのある、名古屋にこれを見るために来る価値がある、そういうものでした!感動。


hakutemmoku.jpg
http://www.tokugawa-art-museum.jp/index.html
室町/16世紀
高6.4 口径12.1
一口
重文

--------------------------------------------------------------------------------
白天目茶碗は、天正元年(一五七三)十一月に織田信長が催した茶会で用いられた事例をはじめ、中世末期から近代初期にかけての茶会記に、その使用が記されている。武野紹鴎所持と伝えられるこの茶碗は、天目といっても建盞茶碗に見られるような厳しい姿ではなく、側面に膨らみを持った碗形である。この穏やかな形姿と口縁部の覆輪の金色、側面の清楚な白釉、見込に溜まったビードロの黄緑色と各色が、見事に調和のとれた発色をしている。これまで美濃で製作されたと考えられていたが、近頃この茶碗と同様な破片が多治見市小名田窯下窯から発見され、同窯がこの茶碗の焼かれた窯である可能性が出てきた。武野紹鴎からその孫の新右衛門、初代義直と伝来した。『玩貨名物記』所載。
http://bunka.nii.ac.jp/


短刀 銘 正宗.jpg

太刀 銘 正恒
たち めい まさつね

古備前(こびぜん)を代表する名工 正恒(まさつね)作の太刀。腰反(そ)り高く、踏張(ふんば)りの強いこの太刀には、古雅の風があると賞賛されている。八代将軍吉宗の将軍退職祝いとして、延享二年(一七四五)十月十九日に尾張家八代宗勝(むねかつ)の嫡子宗睦(むねちか 後の尾張家九代)が拝領した。
【国宝 平安時代 12世紀】



太刀 銘 正恒.jpg

短刀 銘 正宗(名物 不動正宗)
たんとう めい まさむね めいぶつ ふどうまさむね

日本刀の代名詞として使用される程、著名な鎌倉鍛冶・正宗作の短刀。銘が入った作は極めて少ないため、正宗研究に欠かせない代表的作品である。不動明王の彫物がある事から、不動正宗とも称され、豊臣秀次、前田利家、徳川家康、徳川秀忠らの手を経て尾張徳川家へ伝来した。彫物は本阿弥光二(光悦の父)の好みにより、野間玄琢の祖父が彫ったと伝えられている。
【重要文化財 鎌倉時代 14世紀】



太刀 銘 来孫太郎作.jpg

太刀 銘 来孫太郎作
たち めい らいまごたろうさく

鎌倉時代後期の名工 来国俊(らいくにとし 孫太郎(まごたろう))作の太刀。来国俊は、京都の刀鍛冶で多くの名刀を残したが、「孫太郎」の銘を入れた作はこの太刀が唯一。製作した年まで記された太刀として資料的価値は極めて高く、出来映えも完璧に近い優品である。徳川家康が所有した太刀として尾張徳川家に伝来した。
【国宝 鎌倉時代 正応5年(1292)】

http://www.tokugawa-art-museum.jp/artifact/room1/






nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

ヴォルフガング・ティルマンス Wolfgang Tillmans [Ausstellung 展覧会]

Wolfgang_Tillmans_by_Stuart_Mentiply.jpg

2004tokyo.jpg

tillmans.jpg

wolfgang-tillmans-hamburger-bahnhof-berlin-L-5.jpg

559px-02_wolfgang-tillmans_koeln_gal_buchholz_120107.jpg

tillmanstori.jpg

IMG_0023.JPG

IMG_0024.JPG



Galerie Daniel Buchholz(Fasanenstraße 30 10719 Berlin)でティルマンスの写真展を見ました。

ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans、1968年8月15日 - )はドイツ出身の写真家。ロンドンとベルリンを拠点に活動する。2000年にターナー賞を受賞。

1968年、西ドイツのレムシャイト生まれ。

幼い頃は天文少年で、天文現象をきっかけに映像の世界に興味を持つようになったと語っており、のちには天体を題材とした作品集も発表している。

1980年代頃から、クラブなど若者文化を題材にした写真作品の制作を始め、雑誌『i-D』(en:i-D)などで発表していた。1990年から1992年にかけてはイギリスのボーンマス&プール・カレッジ・オブ・アート&デザイン(en:The Arts University College at Bournemouth)に在学。

1993年にケルンで初の個展。2000年に初めてターナー賞にノミネートされ、受賞。
自身がゲイであることを公言している。

作風はよくある日常風景のスナップのような無造作な作品だが、実際には照明など緻密な計算のもとに撮影されている。
複数の作品を展示室内にインスタレーションのように配置させることもある。


2004年の東京のオペラシティギャラリーでの展覧会は大規模でさまざまなサイズの写真が展示空間に構成されていてとても面白かったという記憶があります。

その後、2008年にベルリンのハンブルク駅現代美術館での個展も見ていますが、このときは地味&凡庸な展示で、同じような作品が東京での展示とは全く違った印象になりました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

Yoko Ono in Haunch Of Venison Berlin [Ausstellung 展覧会]

オノ・ヨーコの個展がベルリン中央駅近くのギャラリー Haunch Of Venison でありました。

前回のベルリン訪問時はここでダミアン・ハーストの展覧会がありましたので、ビッグネームが見れるギャラリーです。

「Das Gift」という名前の展覧会でしたが、このギフトは英語のギフト・贈り物ではなくて、ドイツ語の冠詞dasがついていますので、ドイツ語のギフトです。

ドイツ語でギフトというと、「毒」です。

意味は毒、毒物、毒薬、有害物質、あるいは憤怒、憎しみ、隠語的に(毒という意味を含んだ)贈り物。

展覧会空間内には映像作品や観客参加型の作品、ピストルの弾丸が貫通した服やオブジェクトが展示されていました。

IMG_0011.JPG


IMG_0012.JPG


IMG_0013.JPG

ベルリンの市街地図がキャンバスになっています。
自分と関係のあった場所に、ドローイングなり、写真なり、言葉なりを観客が書き込み、貼り付けて作品が出来上がります。
昔住んでいた通りに書き込みしました。


IMG_0014.JPG


IMG_0016.JPG


掛かっているのは弾丸が貫通した外套です。


IMG_0018.JPG


人が撃たれるような映像。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

ベルリンに行きます [Ausstellung 展覧会]

Berlinにはライアンエアーでひとっとび。

友人宅に二泊する予定。

彼女はアレルギーでチョコレートが食べられないので、お茶と焼き菓子をお土産にします。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

Quadriennale 2010 Düsseldorf. Nam Jun Paik und Joseph Beuys [Ausstellung 展覧会]

Quadriennale 2010 Düsseldorfを見てきました。

鈍行でBremenを朝7時過ぎに出て、Düsseldorfに12時頃到着。
帰りはDüsseldorfを19時に出て、23時半頃Bremenに帰着のはずが、途中に鉄道のトラブルがあって、結局1時間遅れで帰ってきました。
Bremenについても、自宅に向かう路面電車を50分待たなくてはならなくて、午前2時頃帰宅しました。

メンバーは日本人3人と韓国人1人でした。みなおにぎりや海苔巻きを持参して楽しかったです。


K20でのヨーゼフ・ボイスの展覧会ですが、今までにはあまり見てこなかった初期の作品、学生時代の工芸的な制作や、初期の職業芸術家としての制作なども見れ、面白い展覧会でした。あらゆる場所で作品解説ガイドが開催されていて、とても人気です。



ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys、1921年5月12日-1986年1月23日)は、ドイツの現代美術家・彫刻家・教育者・社会活動家。

初期のフルクサスに関わり、また『社会彫刻』という概念を編み出し、彫刻や芸術の概念を「教育」や「社会変革」にまで拡張した。『自由国際大学』開設、『緑の党』結党などに関与。『人間は誰でも芸術家であり、自分自身の自由さから、「未来の社会秩序」という「総合芸術作品」内における他者とのさまざまな位置を規定するのを学ぶのである』という言葉は、20世紀後半以降のさまざまな芸術に非常に重要な影響を残している。

ボイス展の他、K20の常設にはアメリカンルーム?といって20世紀のアメリカ現代美術が展示されています。ここにあるドナルド・ジャッド作品が好きです。この部屋にはボイスと同じくフェルトを使ったロバート・モリスの作品があります。個人的にはモリスの作品のほうがフェルトという素材をうまく使っていて好印象を受けました。


作品素材として脂肪やフェルトを主に使うようになった理由について、1987年のBBCのインタビューをはじめ、ボイスは、度々戦時中の体験を引用しています。ボイスによると、彼は第二次世界大戦中の1944年5月16日、クリミア半島上空でソ連軍に撃墜され、墜落負傷。数日後もしくは翌日、ドイツ軍野戦病院(Feldlazarett)179号に収容され手当てを受けた。ボイスは墜落後助かった理由について、遊牧民のタタール人(クリミア・タタール人)に助けられ、体温が下がらないように彼らから脂肪を塗られてフェルトにくるまれたという話を様々に語っており、この体験が個人的な転回点になったとしてタタール人や脂肪にまつわる作品を多く制作している。しかしこの話はボイスの創作物語である事が後の調査で判明。彼は墜落後まもなく、ドイツ軍によって病院に収容されていた事が彼の伝記作家により2000年に発表されている。


K20の後はmuseum kunst palastでのナム・ジュン・パイク展へ。
ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik 白南準 1932年7月20日 - 2006年1月29日)は韓国系アメリカ人の現代美術家。ビデオ・アートの開拓者であるとともに、その代表的な存在である。

こちらも盛況でドイツでのパイクやボイスの人気を実感できます。
パイクのほうはボイスよりも直接的で「わかりやすい」という感覚があります。素材は当時の最新機器であったヴィデオなどが中心ですが、TVチェロなどの作品はオリジナルはもう起動することができません。これは50年もすると電気機器の進歩は大きいので、モノ自体は粗ごみのような存在感です。

その後アカデミア・ギャラリーでのZeichnung(ドローイング)の展覧会を見ました。
キルヒナーからボイス、リヒター、トニー・クラッグなどのドローイングがありました。まじめだったのはリキテンシュタイン。いろいろな作品形態がありますが、ドローイングはその作家の内面が表れやすいような気がします。規模は小さいですがこの展覧会もとても面白かったです。

ろくに休憩もせず、3展覧会を気合で回りました。
せっかくデユッセルドルフに来たので、お土産にハイネマンのシャンパン・トリュフを購入。






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

Ausflug nach Düsseldorf デュッセルドルフへ [Ausstellung 展覧会]

Düsseldorfで開催中の展覧会を回るのですが、ナム・ジュン・パイク、ヨーゼフ・ボイスの展覧会が主な目的です。

美大の2クラスにメールを配布したものの、集まったのは合計で4人みなアジア人。

ドイツ人学生はパイク、ボイスはもう見飽きているのかな。

7時発の電車設定が早すぎたのかな。。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

Rudolf Steiner und James Turrell in Wolfsburg [Ausstellung 展覧会]

James Turrell. Bridget's Bardo. from Kunstmuseum Wolfsburg on Vimeo.



Kunstmuseum Wolfsburgで開催中のルドルフ・シュタイナー関連の展覧会と同じ会場でのジェームズ・タレルのインスタレーションを見てきました。

Wolfsburgはフォルクスワーゲンの街です。日本で言うと愛知県の豊田市のような感じなのでしょうか。
鉄道駅から街のメインストリート?ポルシェ通りをまっすぐ進むと15分か20分程度で美術館に着きます。

中心に教会を中心とした旧市街を持つ典型的なドイツの街とは違い、駅前から凡庸な商店の続く日本のどこかにありそうな、そんな雰囲気の街です。これは結構不思議な感覚でしたが、なんとなく不快ともいえるのかも知れません。


zaha.jpg

鉄道駅すぐそばには建築家ザハ・ハディッドZaha Hadidによるファエノ科学センターがあります。一部改装工事中でした。建物の下部に空間がありますのでそこを通り抜けしました。ザハの公式サイトから詳細が見れます。http://www.zaha-hadid.com/cultural/phaeno-science-center
サイエンスセンターらしい感じです。近づいてみるとコンクリートの肌合いが何か古い宇宙船のようでした。


美術館でのシュタイナー展の内容は二部構成で、シュタイナーと現代美術、それからシュタイナーの建築、デザイン、教育などの紹介がありました。

第一部の現代美術編では、シュタイナーが現在生きていれば、共感や興味をもったであろう作家たちという形で、マリオ・メルツ、カプーア、エリアソンやトニー・クラッグなどの作品が展示されていました。確かに展示されている作品たちは素材や物質への姿勢など、共通の感覚がありました。


同時に展示されていたタレルのインスタレーションは冒頭のヴィデオのスロープのある空間です。
タレルのインスタレーションは日本でかなりの人気のようですが、今回初めて実体験しました。
空間にいる感覚は、思っていたよりも淡白な印象でした。

タレルの空間やシュタイナーの信仰的な性質が非常にマッチした良い展覧会でした。




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート
前の10件 | - Ausstellung 展覧会 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。